東都よみうり 2014年(平成26年)4月25日(金)

3回命拾いした橋本さんが世界放浪の後に創設した「英検セミナー」

3年間世界を放浪し、3回死ぬ目に遭い、やっとの思いで無事に日本に帰りついた。
そんな若き日の記憶をもつ橋本正明さん(68)さんは、1988年に江戸川区西葛西で「英検セミナー」を立ち上げた。ユニークで力強い人だ。

父親は第二次世界大戦で戦病死し、母親の「女手一つで育てられた」。
早稲田大政治経済学部を卒業し、イギリスの国立エセックス大学院に留学して英語を磨いた。放浪したのは帰国する時のことだ。
シベリア経由の片道切符だけでイギリスに渡った私費留学の苦学生だったので、 日本人家庭の子供たちの家庭教師や塾を開いて学費と生活費を作り、2年間の留学期間に蓄えた資金をもとに世界を見ながら帰国しようと思いたったのだ。20代後半のことだった。

死にかけた1回目は死海。
死海は中近東のイスラエルとヨルダンの国境にあり、橋本さんはイスラエルで集団生活村・キブツに体験入村してもいてイスラエル側からは死海に行っていたが、対岸のヨルダン側から見てみたいと思った。
ヒッチハイクで近くまで行ったものの日が暮れ、地元の人に「これ以上は危険」と言われたが構わず歩いた。
するとオオカミ(あるいは野犬だったか)の群れに囲まれたのだ。崖を登って狭い岩場に逃げ込み、飛びかかってくるので身をかがめるとその上を何匹もが飛び越えていった。
橋本さんは石を投げて対抗した。「もう食われる」と思ったが、ボスがいるのに気づき、そのオオカミだけを目がけて石を思い切り投げ続けた。当たった。と同時にオオカミたちは退いていった。助かったと思った。

2回目はインド。
新月の日には虎の遠吠えが聞こえる山の中だった。アラビアの砂漠地帯で野宿をしながら陸路でアフガニスタンを越えてインドに入ったが、持ち金が12ルピー(約360円)ほどしかなく、ヒンズー教の服を買ってヨガの行者になり、寺院で寝泊まりと食事を施してもらった。
その折、山奥の寺院でマラリアにかかったのだ。高熱が続いた。「近くの農家で水牛の乳を分けてもらえば治る」と寺院の人たちは教えてくれたが、修行として何事も自分でやらなければならなかった。 橋本さんはやせ衰えた体でもうろうとしながら山道を歩き、水牛の乳を分けてもらった。「効いたんでしょうね水牛の乳。治ったんだから」
と橋本さん。30歳になっていた。

3回目はインド洋に浮かぶモルジブだ。
今でこそ観光地だが、当時は行く人も少なかった。セイロン(スリランカ)を経てモルジブに着くと、「コレラが流行していて体育館には死体がずらりと並べられていた」。
このままでは危険だと思い、コレラが治るまで無人島へ渡ろうと思った。
集落の首長に頼み、小さな帆船を出してもらって無人島に渡った。首長たちはヤシの葉で小さな小屋をまたたく間に作ってくれた。一週間後に迎えに来てくれることになり、水と食料は用意していた。が、迎えは来なかった。水がなくなった。「俺はここで死ぬのか」と覚悟決めた。穴を掘ってそこを死に場所にしようと思ったが、小さなカニがうようよいて、「こいつらのエサになるのか」と悔しくもあり、悲しくもなった。それにサンゴ礁の砂は素手では深くは掘れなかった。水平線の向こうに少しだけ北斗七星が顔をのぞかせた。
日本はあっちの方向だろうと泳いで帰りたいとも思ったが、「サメがうじゃうじゃいるのでやめた」。

日本に無事に帰りたいと切実に思った。2週間後に迎えの小舟が水平線に現れたときは歓喜した。 船にしがみついて離れなかった。
橋本さんが様々な放浪体験をし、英語一つで渡り歩いて無事に帰国したのは、イギリスを出て3年目のことだった。その経験から、英語の必要性を痛感して、「英検セミナー」を設立した。30年ほど前のことだ。

無料の動画事業サイト「楽英」始める

今、橋本さんは「世界の中で日本が地盤沈下している」と感じている。
海外に飛び出していく若者も減っている。「日本の復活のためにも、海外に飛び出していく若者が増えて欲しい」と思い、 英検セミナーの授業を無料で見られる動画サイト「楽英」を3月に立ち上げた。英語力一つで世界を放浪した橋本さんの生き生きした体験が、「楽英」には凝縮されている。
問い合わせは英検セミナーTEL3878・9981。 「楽英」で検索を。http://www.rakuei.net/